ポルソナーレ

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 ワンマンカウンセラー・コース(人間関係の能力づくり)はこちら 

谷川うさ子
ハンナ・アーレント 


解説:榎本 (ローテンブルクにて)

谷川うさ子・哲学入門
ハンナ・アーレントの『人間の条件』
Vita Activa Oder Vom Tatigen Leben
Hannah Arendt

バックナンバー

お申込、お問合せ

日本人の毎日使う日本語は、主観を言い表す文法になっています。

主観とは、孤立の言い換えです。

孤立とは、鬱病の「うつ」のことです。日本人が自分の幸せと、身近な人と仲良く幸せにやっていくには、日本語の主観を、客観的な表現の仕方に変えなければなりません。もしこれができなければ、鬱という「死に至る病い」の「四行程」の中を直進しつづける日々を送ることになります。

日本語の会話は、
「第一段階…人間関係を親愛につくる」、
「第二段階…社会の一般法則、普遍性のある真理を一致させる」、
「第三段階…世界は、哲学が動かしているので、この哲学による世界を分かる認識の仕方を、一致させる」

というものです。

ポルソナーレのカウンセリング・ゼミの「特設ゼミ」の「哲学入門」は、ハンナ・アーレントの『人間の条件』の哲学を、現在のアメリカ、イギリスの哲学のプラグマティズム、確率論に対して、もっとも一人一人の人間にとって必要な哲学であると位置づけます。

『人間の条件』こそが、この混迷の世界と日本の状況に進みゆく道標たりうる哲学のテクストです。

ぜひ、あなたもポルソナーレの「哲学入門」の心の香りを味わってみませんか?


谷川うさ子・哲学入門 ハンナ・アーレントの 『人間の条件』 - バックナンバー

平成22年
7月10日

プロローグ

近現代の世界における問題提起…人間は、「人間の条件(人間がそれを抜きにして存在できるとは考えられない普遍的で基本的な条件)から脱出したい」という望みをもち現にそれを実現しつつあるということ。

@科学的・技術的知識(地球や生命の拘束から逃れたいという望みの実現)と、「多数者」(複数の人々)の「普通の言葉や思想」との分離。

A有史以来の労働の労苦と困難から解放されたいという望みの実現と、それにともなう問題点(「労働のない労働者の社会」というパラドックス)。

平成22年
7月24日

第一章 人間の条件

第一節 〈活動的生活〉と人間の条件
・前半

今、混迷と閉塞の黄昏に飛びたつミネルバの梟
読むだけで不安や逃避のイメージが消えて知性の
目が開く!!現代哲学の最高峰の香りを贈ります!!

●〈活動的生活〉vita activa(ヴィタ・アクティーヴァ)という用語の意味する三つの基本的な活動力(労働、仕事、活動)についての説明。

●「活動」を成り立たせる条件である「複数性の法則」(この世界に生きるのが多数の人間である。そして一人として同じ人間はいないという事実)について。

●三つの活動力はそれぞれ人間の生と死という最も基本的な条件に結びついているが、とりわけ「活動」は「出生」と深く結びつく。それは、世界に絶えず生まれてくる新来者が「新しい事柄を始める能力」を持っているからである。

平成22年
8月14日

第一章 人間の条件

第一節 〈活動的生活〉と人間の条件
・後半


今、日本人の混迷と閉塞の黄昏に
飛び立つミネルバの梟
日本の女性を襲っているバッド・イメージと
美化の妄想!! この異形の虚像の空間から
離れる現代哲学の道標を、あなたにも!!

●「人間の条件」とは単に自然の条件のみを意味するのではない。人間によって作られた人工的世界は物的性格をもっており、これも人間にとっては条件づけの力として働く。つまり人間は自分の住む世界のリアリティと客観性、耐久性と永続性を確信して、日々を生きていくことができる。

●人間の条件(および活動力と能力を全部合計したもの)と、人間の本性とは同じものではない。

●伝統的哲学では、人間は自分たちの本性・本質を定義することは、解答不可能であると言われてきた。もし定義をしようとすれば神(人間のイデア)の創造に行き着いてきた。

●人間の諸条件(出生、可死性、地球など)は、「われわれは何であるか?」(本性)を説明することはできない。つまり絶対的に条件づけていない。現に、20世紀、人間は地球から離れても存在できることが立証された。

平成22年
8月28日

第一章 人間の条件

第二節 〈活動的生活〉という用語・

今、日本人の間で起こっている哲学ブームの
先端に飛びたつミネルバの梟

日本の女性の崩壊の実体、「女の活動とは?」を
根源から問いかける!!さまざまに飛びかう梟の中から
特化した人間救出の哲学を、あなたにも!!

●〈活動的生活〉vita activaという用語は、本来は「政治的生活」という意味であり、古代ギリシアの哲学者アリストテレスによって使われた言葉である。アリストテレスによればそれは、労働などのように生命の維持の必要に従事するものとは無関係なものであり、人間が自由に選び得る生活のうち、ポリスの問題(人間事象とそこでの活動)に捧げられる生活のことを指していた。

●古代ギリシア人のポリスにたいする考え方とは、自由に選ばれた政治組織形態だということである。彼らによれば、労働も仕事も、生命の必要や欲望に奉仕するものであり、真に自由のものとは考えられていなかった。真に人間的な生活様式と考えられていたものがポリスだったのである。

平成22年
9月11日

第一章 人間の条件

第二節 〈活動的生活〉という用語・2

哲学の基本は概念による思考。
その王道を示すミネルバの梟

閉塞の中で諦めとともに眠る日本の女性。
「活動的生活とは?」から問いかける!!
遠くのものに近づけない
日本人救出の哲学を贈ります

●古代の都市国家ポリスの消滅とともに、〈活動的生活〉という言葉は政治的意味を失い単に現世的生活の必要物の一つになり下がった。一方、「神を見る」という意味の〈観照生活〉が人間にとって唯一の真に自由の生活様式となった。

●「観照」を人間の最高の理想とする考え方の起源は、キリスト教以前に、すでに古代後期の哲学者(プラトン)の脱政治の考え方の中にあった。

●「観照」すなわち「絶対的静」がかくも優位に置かれたのは、人間の前に真理および「自身で存在する物」(不易の永遠・自然的宇宙)が現われるときは完全な静けさがなければならないと考えられたためである。

平成22年
9月25日

第一章人間の条件

第二節〈活動的生活〉という用語・3

哲学とは、『虚像』に表象する像に
知的認識を与えること!
その本格を語るミネルバの梟

日本人の「人間の条件」は「非観照」!!
今、最も必要な知性とは、
正統の「観照」の能力です!

●〈活動的生活〉が〈観照的生活〉に対して第二義的な地位を占めるというヒエラルキーは、観照(テオーリア)という人間的能力が発見された時に決定された。その原因はソクラテスの裁判より深く、それ以降の西洋の形而上学と政治思想を支配してきた。

●問題は、伝統的ヒエラルキーにおけるこの観照の圧倒的重みのために、〈活動的生活〉の内部の区別(労働、仕事、活動)が曖昧になったことである。

●近代、マルクスとニーチェによりこのヒエラルキーの順位が転倒されたが、「人間の活動力には同一の第一義的関心が支配している」と仮定している点で本質的には伝統と変化していない。

●私(アーレント)が〈活動的生活〉という用語を用いるときは、それが〈観照的生活〉より優れたものでも劣ったものでもないということを前提としている。

平成22年
10月9日

第一章 人間の条件

第三節 永遠対不死・1

哲学を学ぶ効果は頭頂葉が働くこと1!
知的精神の本格を語るミネルバの梟


日本人にとっての「人間の女権」は、
頭頂葉を働かせることです!
痴呆を防ぎ、鬱(うつ)を予防します!

●「思考の人と活動の人が異なった道を辿り始め」てから、ソクラテス以後の哲学者はポリスを支配する原理に代わる高い原理を発見したと考えた。その二つの原理を分かりやすく示すのは「不死」と「永遠」という概念である。

●古代ギリシアでは、人間とは生から死までの生涯の物語をもつものであり、その「不死」を動物のように生殖によっては保証されない「死すべきもの」であると、そして自然とオリンピアの神々に与えられていたような「不死」と向き合う存在だと考られていた。一方、ヘロドトス(歴史家)によれば、アジア人(ペルシア人)は「永遠」なる「見えない神」を信仰していたが、ギリシア人にはこの「永遠」と「不死」の違いもはっきりと理解されていたということである。

平成22年
10月23日

第一章 人間の条件

第三節 永遠対不死・2

秋の夕陽はつるべ落し!
晩秋の黄昏に飛び立つミネルバの梟

日本人の脳の頭頂葉の脳細胞に浸潤する「内扱い」!!
あなたの未来を守護する珠玉の現代哲学を今!

●ソクラテスが現れる前の古代ギリシアでは、人間は自らを「死すべきもの」と位置付けた。その中でポリスの建設・維持に努めることは、自分たちの住家に値する仕事、偉業、言葉を生み出し、不朽の痕跡を残す能力のことであり、オリンピアの神々のような「不死」の能力をもつことの証明であると見なされていた。このような能力を発揮し「自分を最良の者と証明する者」だけが真の人間であるとみなされていた。

●ソクラテス以降、衰微したポリスへの不信の中で、このような考え方は消え失せた。そして形而上学的な思考の中心に「永遠」なるものが置かれた。次に現れたのがプラトンの哲学である。プラトンは、ソクラテスのような「他者との対話」もついに断念した。このことが「活動する人々と思考する人々が袂を分かった…西洋の哲学的伝統であると同時に西洋の政治の災いのもととなってきた」ことの決定的な転換点となったのである。

平成22年
11月13日

第一章 人間の条件

第三節 永遠対不死・3

迫り来る日本の冬の季節!!
卯年の空をバラの花で飾るために
飛び立つミネルバの梟


脳の頭頂葉の脳細胞を廃用萎縮させる「内扱い」の
日本語の文法!!あなたの卯年の一年を
黄色のバラで彩どる
現代哲学の香りを贈ります!

●古代ギリシア後期の哲学者によって発見された「永遠」という原理は、プラトンの洞窟の比喩に見られるように、人間の多数性(仲間、人々)から離れることであり、一種の死を意味し、人間のいかなる活動力とも両立せず矛盾するものである。

●「永遠」という価値が哲学者によって発見され、最終的に西洋世界において勝利をおさめたのは、ポリスがいつまで続くのかというもっともな疑念とローマ帝国の没落、そして永遠の生命を説くキリスト教の勃興のためであった。ポリスにおいてなされた「不死」への努力は空虚・不必要なものとなり、虚栄虚飾と見なされるようになった。近代になりキリスト教が力を失い、活動が「観照」に対して再度優位を占めた時代になっても、不死への努力は忘却の彼方からよみがえることはなかった。

平成22年
11月27日

第二章 公的領域と私的領域

第四節 人間―社会的または政治的動物・1

パラダイム・シフトの中で新たな未来のための
座標軸とは何か?
不滅の真理を語るために日本の黄昏を飛びかう
ミネルバの梟

弥生時代の和語の文法を今も使う
日本人の原始人思考!!
日本語を使う能力を根源から変革する
本格哲学をあなたに!!

●アリストテレスは「人間は政治的動物zoon politikon(ゾーン・ポリティコン)である」と定義した。その定義の背景には、〈活動的生活〉は人間の住む世界を造ること、また、人間の活動力は、他者との共生なしには存在しえず、また人間だけが活動力をもつ(神も野獣も活動の能力をもたない)という古代ギリシアの考え方がある。

●「政治的動物」は、古代ローマの哲学者セネカらにより「社会的動物」と訳されこれが今日まで定着することになる。「社会的」という言葉自体がローマ起源のものである。これはローマ時代に、「社会」(societas・ソキエタス)の原型が誕生したことを意味する。

●その後「社会的」socialという用語が基本的な人間の条件を意味するようになった。しかし古代ギリシア哲学の考え方からすれば、「仲間から離れては生きられない」という事実は人間固有のものではなくむしろ人間が動物と共有している条件なのである。

平成22年
12月11日

第二章 公的領域と私的領域

第四節 人間―社会的または政治的動物・2

グローバル経済の中で漂流しつづける
日本人の思考能力。
新しい年は、概念思考で出立せよと語りかけて
黄昏を飛びかうミネルバの梟

時代の先端を疾走する人間は
「言論と活動」の能力をもつ!!
ハンナ・アーレントがあなたに贈る
100万本のバラの花の香りの
実存主義哲学!!

●古代ギリシアでは「公的領域」(ポリス)と「私的領域」(家庭)の間には亀裂と言えるほどの明確な区別があり、前者の優位性が後者を凌駕していた。ポリスを創設したのは人々の「活動」(プラクシス)と「言論」(レクシス)の能力であり、ポリス発生以前に血縁に基づく組織はことごとく解体していた。そのことは炉の神ヘスチアの地位低下にも見てとれる。公的領域は家庭のような血縁に基づく組織とは相容れないものである。

●古代ギリシアではすでにアキレウスの神話や悲劇『アンティゴネ』などに見られるように、「活動」と「言論」が人間の最高の能力であると確信されていた。この二つの能力は同時かつ同等、同種のものと見なされており(言論のない活動は活動者actorすなわち主語を欠くためもはや活動ではない)、これは私的領域やアジアの帝国に見られる「むきだしの暴力」が言葉を発せずそれゆえに偉大ではないという在り方と対立するものである。

平成22年
12月25日

第二章 公的領域と私的領域

第四節 人間―社会的または政治的動物・3

会話はしても対話できなくなった日本人の孤立の
命題を立てられず、証明もできない
日本語(和語)の文法。

ヨーロッパ語の「S+V」の起源は、ポリスにあった!!
ヨーロッパ人が切り開いた
知的認識のための思考形式と
文法のモデルが、今、ついに明らかに!!

●古代ギリシアにおいては言論(言語、説得)の能力がますます重要視される。アリストテレスの定義「言葉を発することのできる存在」とは人間一般を定義したのではなく、ポリスの一般的市民の在り方を定式化したにすぎず、それはまたポリスの外部の人(奴隷、野蛮人、女性)は言論と言論による生活を奪われていたということも意味する。

●この「言葉を発することのできる存在」は中世、ラテン語にて「理性的動物」と別の言葉に訳されたが、これは彼らがポリスの世界を知らなかったという基本的誤解に基づく。

●古代でも「私的領域」(家庭)の内部では家父、家長の権力は絶対的なものであり、それは言葉と暴力が正反対であるのと同様に「公的領域」とは互いに相容れないものであった。ローマ時代末期より皇帝が自ら「ドミヌス(家長)」と称するようになりこの認識が崩れ、国が「公的領域」ではなくなってゆき中世以降の世界もその在り方を受け継いでいった。

平成23年
1月8日

第二章 公的領域と私的領域
第五節 ポリスと家族・1

無思考、行動停止の日本人の黄昏の
空を疾走するミネルバの梟!!
「哲学なくしては生きられない」の
証明とはこういうものです!!

古代ギリシアのポリスが全人類の
知的精神の起源!!
自立!独力で生きる!!ための
個人の在り方は、一体、なぜ崩壊したのか?
全世界の人間が学ぶべき必須の
コンテクストを読む!!

● 「公的領域」と「私的領域」の決定的な区別は古代の終わりより全く曖昧なものとなり、そのいずれでもない社会的領域が近代と時を同じくして出現する。その政治形態が18世紀、フランス革命以後、ヨーロッパ各地に誕生する「国民国家」(国民の平等と同質という理念に基づき成立)である。元来私的な家族問題であった「経済」が公的なものとなり、国は一つの巨大な家政(家族)となった。ここでの科学的思考は「社会経済」social economyというものであり、古代の思想にとっては形容矛盾であるに違いない「政治経済」political economyが誕生することとなる。

● 古代に「公的領域」と「私的領域」が分離されていたのは、人が公的領域に参加するためには境界線によって区切られた私的領域が必要であり、その中では個体の維持と種の生命の生存という、生命の必要(必然)を保持しなければならなかったためである。

平成23年
1月22日

第二章 公的領域と私的領域

第五節 ポリスと家族・4

再生、生まれかわり!!夜明け前の日本人の
自由とは何か?を知ることが
日本人の生き残りの条件です!

「政治」とは知的精神の形式のことです!!
自由と政治とは同義!!を明かすアーレント哲学。
今、日本人に最も必要!!これだけは
ぜひ!!の必須のコンテクストを読む!!

●公的領域(ポリス)が自由freedomの領域であるということは、自由が政治の存在理由であったということである。人が肉体的必然に従属する奴隷でなく自由人であるということはギリシア人にとって至福eudaimoniaの条件であり、さらにポリスの成員同士が支配・被支配の関係になく平等であるということがほかならぬ自由の本質であった。

●他方、古代における私的領域とは、生命の必要〔必然〕への従属のために奴隷や家族への力と暴力が正当化される、自由と平等が存在しない「前政治的」領域であった。全ての人間は必然に従属するからである。家長が家族と奴隷を支配し生命の必要〔必然〕から解放されることが、ポリスの自由の領域に入るための条件であった。

●近代になり政治とは社会の機能にすぎなくなり、単に生命・財産を守るためのものとなった。現在の支配や統治の秩序は、本来は私的領域の「前政治的」状態のものである。

平成23年
2月12日

第2章 公的領域と私的領域

第5節 ポリスと家族・3

主観をなおも内向化させつづける日本人!!
アジア型の「遠野物語」の世界から
どう逃け出せばいいか?

日本人の知的自立を
阻むものは何か?
アーレント哲学のヨーロッパの知性の
葛藤から学ぶ日本人の条件。
知られざるヨーロッパの政治と
社会の生命の秘密が今、明らかになる!!

●近代の社会(経済領域)の勃興のため、公的領域と私的領域の間の重大な深淵が消滅し、マルクスが述べるように活動と言論と思考は単に社会的利害の上部構造となった。

●中世の時代、かつての公的領域の代理となり、そこに至るまでは攀じ登らなければならないほどの重大な深淵や壮大で輝かしいヒエラルキーという役割を人々に与えていたのはカトリック教会であった。しかしこの教会という共同体において人々の媒介は来世への関心というものであり、やはり古代の公的領域に真に代わるものではなかった。

●中世の世俗の領域では、古代には家の単位であった私的領域が、領主の荘園や、利害を共にする都市の職業組織として、いずれ国家規模の社会へと拡大する過程にあったのであり、いずれにおいても公的領域は全く欠如していた。荘園の領主は裁判権をもっていたが、これは全ての活動力が私的領域に吸収された「私的領域の成長」という現象である。

 

『全体主義の起原 I 反ユダヤ主義』
緒言・1

「いじめ」「虐待」「ヨソ者扱い」「自分で
で自分のことを悪く考える」などをつくる
人間のブラック・ボックスの秘密!!
人類の「知性」に浸潤する悪意と闘うアーレント哲学!!

液状化する国と社会。
諦めに呑み込まれる人間。
妄想の霞を食べて生きようとする日本人。
自分を変え、現実を変えるための
哲学の白眉を贈ります!!

●19世紀後半、世俗的なイデオロギーとしての反ユダヤ主義が世界史上初めて登場する。これは古代より存在した(と言われている)宗教的なユダヤ人憎悪と全くの別物であるばかりか、そこから論拠や感情的な力を得ているかどうかということすら問題である。

●ローマ帝国時代よりユダヤ人迫害が続いたという観念は、「世界支配の野望を抱くユダヤ人秘密結社」というユダヤ陰謀論ほど害は大きくないにせよ、それに劣らず誤りである。

●ユダヤ人問題に関しては近代以前に200年に渡り断絶があり、この期間にユダヤ人=非ユダヤ人の関係において「相手こそが敵意の源である」という誤謬の歴史叙述が双方において作られたが、真実はユダヤ人の外部への全くの無関心・孤立というものだった。この時期に「ユダヤ人は“人種”的特性をもつ」という彼らの自己解釈が生まれ、それが非ユダヤ人にも広まったのだが、これこそが後の反ユダヤ主義発生の「必須条件」となったのである。

平成23年
2月26日

第二章 公的領域と私的領域

第五節 ポリスと家族・4

「善いこと」とは何か?「悪いこと」とは何か?
現代社会の世界中の人間がぶつかっている
「善・悪」がつくり出す根源的な病理の真実!!!

日本人の知的自立を復活させるアーレント哲学!
誤解されているマキャヴェリズム政治学!!
知られざるギリシアのポリスに見る現代政治の
モデルが再びここに蘇る!!

●中世の政治思想では、古代の時代に公的領域と私的領域に存在していた深淵を誰もが忘れ去っており、公的領域に渡るための「勇気」という徳について知っていたのはイタリアの政治理論家マキャヴェリ一人であった。彼は統一イタリアの創設により永遠の都ローマの「新しい始まり」という経験を繰り返すことができると信じ革命すなわち復古を企てたのである。

●古代において公的領域に出かけてゆくために「勇気」が不可欠であったのは、特別な危険が待ち伏せしていたからではない。私的領域が生命と生存が第一に保証されたのに対し、政治的領域とは生命への関心が有効性を失っている領域だからであり、そこでは生命を賭ける心構えがなければならなかったためである。即ち、「生命」と「世界」とではどちらを優先して大切にするかが自由人と奴隷を分ける印であり、生命に愛着しすぎることは奴隷の印であった。勇気をもつ者だけが共同体へ迎え入れられた。これがプラトンとアリストテレスの述べる「善き生活」の内容である。

平成23年
3月12日

第二章 公的領域と私的領域

第六節 社会的なるものの勃興・1

「社会」とは何か?「社会」の本質とは何か?
アーレント哲学が明らかにする
個人の理性の域に浸潤する支配の法則!!

ルソーの赤裸々な告白!
ハイネの詩的リアリズムの真実!!
現代のアンバランス、漂流、格差、
生の喪失を突き抜ける座標軸がここにある!!

●近代の社会の勃興に従い、私的なものの意味と重要性が変化した。古代では私生活privacyはなにものかを奪われている(deprived)状態を意味し、私的領域のみに生きて公的領域を樹立しない人間は完全ではないと見なされていたが、近代より発生した個人主義により私的領域はもはや剥奪deprivationを意味することはなくなり、その多様な肯定面がとらえられるようになった。

●近代人はルソーに始まり、その「魂」が社会の押しつける個人の一様化・画一化の要求に反抗し、果てしのない葛藤を続けることとなる。彼は過激な主観主義でその魂が社会に反抗した。また18・19世紀のロマン主義による詩と音楽、小説の驚くほどの勃興も同じことを意味している。

●近代に勃興した「社会」は、家族が衰退し社会集団へ吸収されたことを意味する。この社会は古代の家族において共通の利害と単一の意見しか存在しえなかった姿と似ているが、唯一違う点は、社会を支配する人間の実際的な力は最終段階では不要(無人支配)となるということである。

平成23年
3月26日

第二章 公的領域と私的領域

第六節 社会的なるものの勃興・2

平成23年3月11日。東北・関東を襲った
巨大地震とどう向き合うか?
私的領域の「生存」を社会化すると、
独力では生きられなくなる!!
私的領域の親密さを政治化すると、
官僚システムが寸断して飢えと寒さが直撃する!!

「リーマン・ショック」につづいて、
再び発生した歴史的社会問題を
どう知的対象にするか?
教訓、内省、そして止揚のための
最強のアーレント哲学!

●近代の社会では利害・意見はただ一つであると前提され個人はそのように強制されるため、個人の本来持っている「新しい始まり」としての「活動action」は排除され、代わりに予期された規則としての「行動behavior」が要求されるようになる。人は社会の枠組みにふさわしいものでなければならず、社会の一定のパターンに従わない人は「異常」と見なされる。これは社会の公的領域の征服という現象であり、ここに古代のギリシアとは異なる平等をもつ画一主義・大衆社会が現われる。

●社会の勃興と同時に近代の経済学と統計学が誕生する。マルクスは、スミスら古典経済学の時代にはまだ残っていた多様な矛盾対立(見えざる手)から、資本家と労働者というたった一つの対立のみを残す経済体系を作った。これは人間が一致して一定の行動のパターンに従うという新しい「社会化された人間socialized man」であると仮定され、また事実その通りの姿となったこ と、それゆえ奇跡の様相を帯びた救済の可能性をもつ「活動」の能力を失っていることをも意味した。

平成23年
4月9日

第二章 公的領域と私的領域

第六節 社会的なるものの勃興・3

「3・11、東日本巨大地震・震災」がつくった
日本人の転換点とは何か?
「3・11、震災」は「社会」とは何か?
「政治」とは何か?を語る!!
「生存」と「生命過程の必然」を
言論と活動の対象に!!

「3・11、大震災」から何を学ぶか?
内扱いの文法で見れば「政治」に放置される!!
画一化と均質化に対抗する
アーレントの実存主義哲学!!

●歴史の意味とは、人間個人の唯一性の物語を表すまれな「活動」の結果に現われるものである。一方、近代の統計学が扱うものとは多数の人間の長期に渡る日常的な行動のみであり、個人の活動・出来事は「逸脱」「偏差」としか扱われず、従ってここに歴史の重要性が失われることとなる。

●「社会」が成立し、人々が多くなればなるほど画一主義と標準化が進み、人は活動ではなく型にはまった行動しか行えないようになる。これが社会の政治的理想の姿である。活動が行なわれうる「公的領域」が成り立つのは、ポリスのように市民の数が制限されている場合のみである。

●画一的な行動と人間の社会化を仮定する思想は「共産主義の虚構」を生み出す。共産主義社会の萌芽は実際はマルクスより早く、すでに「見えざる手」を唱えた自由主義の経済学の時代に、国民的家族national householdの中に現われていた。そして当時この完全な発達を妨げていたのはマルクスが唱えたように階級利害などで はなく、すでに時代遅れな君主制的構造の方であった。

平成23年
4月23日

第二章 公的領域と私的領域

第六節 社会的なるものの勃興・4

「3・11、東日本巨大地震・震災」が浮上させた
日本人の「生存」の条件1!
「政治」は個人の「生存」を統御して、
生物学的「種」の存続を約束している!!
しかしそれは単に名目にしかすぎない!!という
真実が白日のもとに!!

「3・11、大震災」は何を教えているのか?
「労働」から外れれば「生存の不安」が
狂気をつくる!
「労働」以外の言論を学べ!!と語るアーレントの
実存主義哲学!!

●社会の完全な勝利の姿とはマルクスの言う「共産主義の虚構」「国家の死滅」が実現されることであるが、官僚制(無人支配)であって「自由の王国」ではない。その最終段階は社会科学全部を包括すると称する「行動科学」の登場である。それは人間が「活動」能力を失い「条件反射的な行動的動物の水準」にあると前提されるようになったことを意味し(厄介なのはそれが正しいものになったということである)、それが国民全ての階層を呑み込んだ(大衆社会の成立)ということである。

●社会の勃興と絶えず加速される力強い成長は、私的領域の生命過程そのもの(個体の生存と種の継続)が公的領域に流れ込んでくる「労働の解放」という形で3世紀にわたり続いた。

●その証拠とは、社会的領域が近代の共同体を全て労働者と賃仕事人の社会に変えたということである。それは社会の構成員全てが実際に労働者になったということでなく、自分たちの行なっていることはすべて自分と家族の生命の維持の方法に過ぎないと考えているということである。

平成23年
5月14日

第二章 公的領域と私的領域

第六節 社会的なるものの勃興・5

「フクシマ原発」が突きつけている
日本人の言語の貧困
「労働の言葉」しか知らない現代社会の個人は、
条件反射で行動する!!
世界が注目する「人類の最終段階」を演じる
「フクシマ」の荒廃!!

「フクシマ放射線の機制」は、
誰が何を見捨てていることになるのか?
「卓越」なき社会はアナストロフィ状況で覆い尽す!!
卓越を目指せ!!と語るアーレントの実存主義哲学!!

●近代以降、家の中という私的領域に閉じ込められていた労働が、工場や会社といった公的な場へ解放され、この時に労働はその成長が異常発育を遂げた(労働生産性の増大)。

●この労働の革命的変貌の最大要因は産業革命による機械化ではなく、すでに確立していた分業という組織原理であるが、これは公的領域以外では起こりえなかったものである。かくして労働という言葉の本来の「労苦と困難」、不幸と貧困という意味が無意味になるほどの変貌を遂げた。

●しかし近代において本来の公的領域が消滅したことは、自分と同格の他者との臨席の形式を喪失したこと、即ちリアリティの喪失を意味するのであり、ここにおいて人間が「活動」(その人が〈誰〉であるか、の物語を表すこと)によって卓越を示すことが不可能となった。社会は人間を匿名化し、個人ではなく人類の進歩を強調するようになる。人間は活動ではなく労働の分野において卓越を目指すようになり、一方、活動と言論はその特質を失い私的な領域に閉じ込められるようになる。

平成23年
5月28日

第二章 公的領域と私的領域

第七節 公的領域――共通なるもの・1

「3・11、大震災」を克服する原点とは何か?
公的領域の光に当てられる「物語」は
悲劇や不幸に耐えられる!
あらゆる苦悩や悲しみを乗り越える
アイザック・ディネセンの「物語」!!

「フクシマ原発」は、自然災害か、人災か?
今、日本字に必要なのは物語を読み、語る能力!
愛とは何か?を語るアーレントの実存主義哲学!!

●「公的」(public)という用語は二つの現象を意味する。一つは「万人によって見られ、聞かれ、最も広く公示される(現われる)」ということである。もう一つは、「共通世界」そのものを意味している。

●物事は公に現われ、万人によって見られ、聞かれることでリアリティを形成する。個人の物語がリアリティをもつのはそれが公的に語られる形に転形され、複数の他者に聞かれる場合である。そうならない場合は個人の経験や考えはリアリティを持ちえず不確かで影のようなものにとどまる。従って、近代の主観の強化は世界と自分たち自身のリアリティに対する確信を犠牲にしてしまう。

●個人的感覚のうち最も激しいものである肉体的苦痛や、個人的愛は、公的現れに転形するのは不可能である。人は肉体的苦痛にとらわれている時、リアリティの感覚は失われてしまうため世界参加は不可能である。また、愛はその「無世界」の性格ゆえに公に曝される瞬間に殺され消えてしまうものであるため、それが世界救済などの公の目的に利用されれば堕落し偽りのものとなる。

 

『全体主義の起原 I 反ユダヤ主義』
緒言・2

全体主義とは何か?……公的領域をなくし、
公的な言語をもたない人間が

「生存」という唯ひとつの目的に無批判に従う時に
全体主義の深淵が広がる!!

安全を名目にした「フクシマ・ダイイチの放射線」が
引き起こした個人の生活破壊!
確率論の帰納法に呑み込まれて
未来をなくしている日本人!!
「ユダヤ人問題」をとおして
現代の社会と政治のつくる共同幻想を解体する
アーレント哲学を贈ります!!

●二つの要因がユダヤ人=非ユダヤ人関係の長い誤解の歴史を作った。一つは、ユダヤ人は70年の神殿破壊以後自分たちの国家を持っていないことであり、もう一つは迫害を逃れるためにユダヤ人は洗礼を受けるか否かの二者択一しか残されていなかったということである。ここで歴史家によって抹殺される重要な事実とは、中世までのユダヤ人の受難は、非ユダヤ人による敵意や暴力よりも、ユダヤ人自身による自発的な分離・疎隔の方が原因として大きかったということである。

●19世紀に突如発生したイデオロギーとしての反ユダヤ主義は、発生当時は学問的根拠の何もない「気のふれた」偏向的人間によるものであった。つまり世界政治上は比較的重要でなかったユダヤ人問題が、西洋史上前例のない大量殺戮犯罪の発生の契機となったということである。

●このことは人に「理解」することを促す。理解とは前例から演繹したり、アナロジーによって言語道断さを打消すことではない。「現実に成心なく注意深く直面し、抵抗すること」なのである。

平成23年
6月11日

第二章 公的領域と私的領域

第七節 公的領域――共通なるもの・2

日本人が今、学ぶべき「言葉とは何か?」
「言語とは何か?」の
普遍的な問いに答える真実!!
人は、なぜ一人では生きられないのか?を
明らかにする!!
「世界」をもたない人間はなぜ滅亡するのか?を
明らかにする!!

日本人の使う日本語は「公的世界」をつくらなければ
自分を「小さきもの」にする!!
美化のイメージを「小さきもの」として慈しむ
日本人への警告!!
あなたが存在することを救出する実存主義哲学!!

●公的領域が現代に完全に消滅したことは、フランス人の小さな幸福(プティ・ボヌール)に象徴されるように、民族全体が偉大さよりも「魅力」を生活様式として採用していることによって説明される。

●公的領域の二つめの特徴は、それが世界そのもの(人々の共通世界)を意味することである。ここで言う世界とは地球や自然のことではなく、人間の製作物や人々の共生の事象に結びつくものであり、人間の真中(between)に位置し介在者(in-between)としての役割を果たすものである。

●大衆社会が耐え難いのは、共通世界が人々を「結集させるとともに分離させる力」を失っているからである。人は相互に関係のない者同士として、むき出しのまま曝され合わざるをえない。

●アウグスティヌスは、喪失した共通世界の代替物としてキリスト教の同胞愛を唱えた。これは「世界が続く限り」という但書きで保証されているに過ぎず、破滅を予定された世界の中で人々をつなぐ原理としてはうまく機能するが、「無世界性」を本質としており公的領域を創る力は持たない。

平成23年
6月25日

第二章 公的領域と私的領域

第七節 公的領域――共通なるもの・3

世代を超えて永続する普遍性をつくる言葉はなぜ必要か?
公的真理をもたない日本人の絶望の真実が明らかになる!!
五官覚の感覚でもリアリティを捉えきれない
日本人の言語感覚を
鏡のように映し出す真実の愛のメッセージ!!

「昨日作ったものを今日は壊す」という消費の絶望は
なぜ、どうして、いつ、誰がつくり出したのか?
あなたが生きられることを救出する実存主義哲学!!

●無世界性(公的領域と共通世界の喪失)が政治の舞台を支配し始めることは、歴史上では人類にとって権威と伝統(過去の領域へ安全に導く糸)を意味するローマ帝国の崩壊後にも起こり、そして現代にははるかに異質で絶望的な形で起こっている。ローマ帝国後に権威を継承したキリスト教が、世界の物を「死すべきもの」と確信し避ける傾向が、かえって世界の物を享楽・消費する方向へ導くためである。この時、世界は「万人に共通するもの」ということが全く理解されていない。

●共通世界が人々を結びつけかつ分離させる「介在者」としての力をもつためには、世代を超え、死すべき人間の一生を超えて存続するという永続性、すなわち私たちが以前にそこにいた人たちとのみならず、後からやってくる人々とも共有するという確信がぜひとも必要である。

●現代の共通世界の喪失は、人間の「不死」(自分の存在の痕跡を残すこと)への関心のほぼ完全な喪失を意味し、今日では不死への努力は虚栄という私的な悪徳と同じものとなっている。

平成23年
7月9日

第二章 公的領域と私的領域

第七節 公的領域――共通なるもの・4

日本語は「主観」を語り、文を書く!!
「客観」とは何か?を学ぶ必要と根拠を明らかにする!!
虚栄、欲望にしがみつく日本人の限界と最終段階を救出する
真実の愛のメッセージ!!

「内扱いの人」としか話せない日本人の限界とは何か?
「内扱いの人」をさらに孤立させる日本人は何に絶望しているのか?
日本人には視えない真実の現実を見せるアーレント哲学!!

●人類の歴史においてポリスや共和政ローマのような「公的領域」が崩壊するとともに、人間が求める「公的称賛」は食欲と同じように単に消費される「虚栄・虚飾」と変化してゆく。この「公的称賛」はより空虚で「客観的」な金銭的報酬と代替可能なものであり、この金銭が唯一の「客観性」の基盤と化すことになる。これら空虚な欲求は、耐久力のある共通世界を樹立することは不可能である。

●一方、本来の公的領域即ち共通世界とは、複数の他者がそれぞれの立場や場所に存在し、彼らによる無数の側面と遠近法が同一のものを視るということがリアリティを形成するものである。

●共通世界のリアリティは、無数の人々によって見られる対象がもはや同一ではなくなるとき、不自然な画一主義が現われるとき、及び、全ての人が根本的に孤立しているときに不可避的に解体してゆく。ここでは全ての人が完全に私的に行動し、互いに見聞きする他者を奪われている。すなわち世界が、たった一つの側面で見られ、たった一つの遠近法でしか現われないということである。

平成23年
7月23日

第二章 公的領域と私的領域

第八節 私的領域――財産・1

「リーマン・ショック」、「3・11、大震災」
「原発で深刻化する日本経済」の中で未来をどう創るのか?の
最強の世界認識の方法!!
孤立は嫌だけど、しかし脱け出せない!!さらに孤立の
蟻地獄(ウスバカゲロウの家)に誘い込まれる日本人への
真実の愛のメッセージ!!

動詞、接続助詞を話せない日本人の現在!!
「みたいな」「みたいな感じ」「とか」「…し、…し、…し。」を連発する
日本人の絶対孤立をどう救出するか?
日本人の末期状況を次世代に引きつがないためのアーレント哲学!!

●私的領域の「私的」“private”という用語は本来何物かが「欠如している」privativeという意味を含むが、それは公的領域の多数性(多数の人が存在すること)を欠如しているということである。

●私的領域は古代ギリシア・ローマ時代には、公的領域と分離された形で存在した。私的領域は「欠如」だけでなく私的な家庭と、世界を防ぐ避難場所というプラスの意味をももっており、私的領域のみの住民である奴隷には、現代の価値観から見ても望ましい富や教養さえ持っている者もいた(ただしこれは古代において富・教養が公的に大した意味をもたなかったということである)。近代の公的領域および私的領域の消滅は、人間よりこの「現われ場所」(公的領域)および「避難場所」(私的領域)を奪い、反人間的な孤独が極端な形をとって現われる「大衆社会」を創っている。

●マルクスは公的領域の死滅を予言したが、その時既にそれは国家規模の「家計」に変形し死滅していたのである。その後現代、さらに非人格的な管理の領域へと完全に消滅してゆくことになる。

平成23年
8月13日

第二章 公的領域と私的領域

第八節 私的領域――財産・2

放射線物質は「安全だ」「いや、危険だ」で分断している
日本人の現実認識をどう乗り越えるのか?
人間関係だけでなく社会性の世界からも孤立を深める
日本人の精神崩壊を救出する最強の哲学!!

助詞を省略する日本人の生の感情(自我)の蔓延!!
私的領域を奪われている日本人の生存の危機!!
法、コンセンサスに生き血を吸い取られないための
アーレント哲学!!

●古代ギリシア時代に存在した「私的領域」の本質とは個人の「財産」のことである。財産propertyは富wealth(金銭)とは異なり(財産と富は全く異なる性格のものである。近代は財産と富が同一視されているので両者が元来無関係なものであることが忘れられている)、土地、畑、家屋、家族、奴隷、家畜の総体であり、世界の特定の部分の自分の場所のことである。さらに人の目から隠された生と死の神聖な領域であり、人が公的領域に参加するための条件であった。一方、富は奴隷さえも持つ場合があり、私的財産の代わりの役割(人が市民となる為の条件)を果たすことはなかった。

●古代ギリシアにおいて、「法」とは近代のように政治の立法行為の結果や人々の公式的な関係のことではなく、現代のように「汝十戒に注意すべし」といった禁止の目録でもない。都市国家ポリスの法とは、私的領域の境界線、即ち家と家との境界線のことであり、文字通り「壁」のことであった。「壁」がなければ一片の財産もありえず、家族の生物学的な生命過程を守ることもありえなかった。

平成23年
8月27日

第二章 公的領域と私的領域

第八節 私的領域――財産・3

日本の女性は、奈良時代までは土地、家などの私有財を持っていた。
やがて男性に奪われた。
私有財産をなくせばどうなるか?のメッセージ!!
最後の財産の身体と性を無価値化している日本女性の現在を救出する
史上最強の哲学!!

富とは何か?財とは何か?を起源から明らかにする!!
最後の財となった人間の身体を守るための方法とは何か?を学ぶ!!
自由と知的精神とは同義!!を定義するアーレント哲学!!

●近代以前においては私的領域即ち私有財産(個人の生と死の居場所)を所有する者のみが公的領域に参加できる市民(自由人)となりえた。彼は自己の生計のために働かなければならない時間から自由であり公務に参加できる時間と肉体力を持っていたからである。しかし中世から近代の発展により、職業や政治的活動力に関わり無く、豊かさそれ自体が市民たる資格となってゆく。

●近代初め、農業社会となり富と財産(土地)が一致し、それ以降、全ての富が神聖な性格をもつとされ人々に追い求められるようになる。16世紀イギリスに始まる「囲い込み」により農民が土地を追われ、以来、大量の無産の「労働者階級」が発生した。富を追い求める事は古代で言えば自らの自由を犠牲にし必要の奴隷になるのと同様である。近代以降の経済学者は富と財産を区別しないため、私的富を保護すれば個人の自由は守れる、あるいは私的財産を没収すれば悪は矯正されると唱えているが、守らなければならないのは「生命過程の必然」である私有財産であろう。

平成23年
9月10日

第二章 公的領域と私的領域

第九節 社会的なるものと私的なるもの・1

人間は、なぜ知的能力を身につけなければならないのか?
いつからなのか?なぜなのか?を明らかにする!!
労働力は人間にとって最後の私有財産!!
投資の対象でなければ、解体される!!を明らかにする
人間救出の哲学!

「2008・リーマンショック」以降、富の蓄積過程が止まっている!!
富の蓄積過程から逸脱した日本の経済の真実が見える!!
資本主義の発生の起源を明らかにするアーレント哲学!!

●近代の社会的なるものの勃興は、イギリス17世紀の市民革命に代表されるように、財産所有者たちが公的領域に入り込み(議会政治の発展により市民が議会に参加すること)、自分たちの富の国家による保護を要求したことと時を同じくする(「国家は“共通の富”のために存在した」)。

●富とは本来は一代限りで消費され消滅するものである。しかし富が「資本」となると(資本capitalという語が「回収されるために投資された富」の意味で使われ始めたのは18世紀である)、資本は共通世界の永続性と似た様相を帯び、世界は「安定」から「過程」へとその姿を変えることとなる。

●これらの変化は、全ての「代替物」を値段を付けられる消費物に変えた。かつての私的財産は消失し、人間に残された財産はロックの仮定する肉体、マルクスの名付けた言葉では「労働力」のみとなった。このロックの仮定は歴史的には疑問であるが、しかし私たちはこの仮定が本当のものになる(自分の頼れる唯一の財産は自分の能力と労働力である)世界に生きることになるだろう。

平成23年
9月24日

第二章 公的領域と私的領域

第九節 社会的なるものと私的なるもの・2

GDP比200倍の財政赤字の日本国の中で、
日本人は、自分の財産をどう守るべきか?のテクスト!
世界でも最悪に近い日本の男女格差の中で、
日本の女性が自分の身体・性・そして子どもを守るための
哲学とはこういうものです!


現代社会の政治の本質は、私有財産と個人を統制することである!
個人の生存を守るという約束を守れなくなった現代の政治の
本当の顔とはこういうものです!
世界で唯一、女性の頼もしい味方のアーレント哲学!!

●私的領域には二つの非欠如的特徴があり、それは私的領域は取り除くことが人間にとっていかに危険であるかの理由を為す。一つは、私生活で毎日使用・消費されるものは、生命のために第一義的に切迫して必要とされるということである。もう一つは、私有財産の四つの壁は、共通世界から人が身を隠す、それがなければどの生き物も成長できない暗闇の空間を為すということである。

●近代以前の政治体は私的領域の境界線そのものを守ってきた。これに対して近代の政治・経済理論は、むしろ財産所有者の富の蓄積のための活動力を守ろうとしている。これこそ私生活の侵害すなわち「人間の社会化」(マルクス)であり、革命的手段を必要とせずにそれは遂行される。

●私的領域の本質とはそれが「隠されるもの」(肉体的機能と物質的関心)だということであった。それゆえ、そこに従事する女と奴隷は世界から隠されてきた。近代、労働者(古代でいう奴隷)と女性は解放されたが、これは近代人がもはや「隠すべきもの」という考え方を失ったことを意味する。

平成23年
10月8日

第二章 公的領域と私的領域

第十節 人間的活動力の場所・1

人間の善とは何か?そして悪とは何か?
日本人は、善もなく、悪もないという鬱の世界で生きている!!
という警告のメッセージ!!
人間の善も悪も、生きる意欲と能力のもとでつくられます!!
善を知り、悪を分かることで
よく生きられることを教える哲学をあなたに!!

現代社会の政治は人間から善の能力を奪っている!!
日本人に残ったのは、病理としての悪だけである
という真実を学びましょう!!
進行する日本人の鬱病の前に立ち塞がるアーレント哲学!!

●公的領域と私的領域が存在したことの意味は、人間の活動力の中には、公に示す必要のあるものと隠す必要のあるものがあるということである。人に見られ聞かれることから隠されるべき活動力の例は、西洋史上イエスが初めて説いた善(goodness)の活動力である。

●善の本質が公的領域と対立するのは、キリスト教の終末論のためだけではない(ローマ帝国が没落しても別に世界は終わらないと経験されて以降、終末論は無意味となる)。イエスが「自分の義を人に見られないように注意しなさい」「右手のしていることを左手に知らせるな」と説くように、善行は、それが公になった途端に善の善のためになされるという特殊な性格を失うからである。従って、イエスが公の場に登場したこと自体が逆説であり、「誰も善ではありえない」ことを示している。

●善の特質は、自分がそれを行なっていると自覚した途端に善ではなくなるということである。善が存在しうるのはその行為者でさえそれに気づかないときだけである。
平成23年
10月22日

第二章 公的領域と私的領域

第十節 人間的活動力の場所・2

日本人は、なぜ善が好きで、悪に無関心か?
日本人の善をたちまち悪に転換させる自己意識を浮上させる!!
ギリシア哲学は、かくも厳しく人間の善と悪とを問い詰めてきた!!
あなたは、生きる人生の中で何を為すべきか?を問う
人間存在の原点を明らかにするメッセージ!!

現代社会の善は、ローマの「パンとサーカス」から始まった!!
日本人は、薬物療法の消費者にすることで悪をつくり出している!!
蔓延する日本人のヨソ者(悪霊=鬱)に陽を当てるアーレント哲学!!

●ナザレのイエスの登場とともに西洋史上に初めて現れた「善」という活動力は、その他の人間のどの活動力とも異なり、他者や自分にさえ目撃されるともはやそれは善ではなくなるという本質をもつ。それゆえ、善行を愛する人は、自分自身にさえ同伴されていないという孤独lonelinessに生きることになる。人は、神以外のものを同伴しないこの善の孤独に長時間は耐えられることはない。このことは、人間の活動力はそれぞれそれにふさわしい場所をもつということを意味する。

●従って、善を一貫した生活様式として実行しようとすれば、それは公的領域では不可能であるか、公的領域を破壊する。その善の破壊的性格を感じ取っていたのは中世イタリアの政治思想家マキャヴェリである。彼の目には、カトリック教会は腐敗していたが、宗教改革によって改革された教会はなお危険であった。宗教団体は政治に携わればそれ自体頽廃であり、自ら腐敗していなくとも、公的領域を完全に滅ぼす(邪悪な支配者にしたい放題の悪をさせる)方向に進むのである。
平成23年
11月12日

第三章 労働

第十一節 「わが肉体の労働とわが手の仕事」・1

人間の条件は「労働」「仕事」「活動」の三つ!!しかし、現代は「労働」だけが人間の条件であるかのようにスポイルされて、至上化されている!!
現代の「労働」は、自分が何をしているかを知らず、何をつくっているかも知らない!!壊すために作る「労働」が消費されている!!
「労働」の意味が分からないと、知性の価値も分からない!!
現代人は、自分の生存だけのために労働して、余暇の中で精神を消費している!!
現代の労働は、なぜかくも人を哀しくさせるのか?に答えるアーレント哲学!!

●「労働」(labor)と「仕事」(work)の二つの概念は別のものとして区別されなければならない。「労働」は人間の肉体の生物学的過程に対応する活動力であり、個と種の生命の維持・存続に従事する。「仕事」は個々の生命を超えて永続する「人工的」世界(文化や文明)を作り出すものである。
●この二つの概念が別物である根拠は、全てのヨーロッパ言語は、「労働」と「仕事」を意味するのに語源的に無関係な二つの言葉を持っていることである。「労働」は苦痛、困難、一種の拷問を表す意味をもち、労働が人間に自然的かつ必然的に課せられたものであることを示す。「仕事」は職人の仕事であり、やがて芸術作品を表す言葉として用いられる。また、労働は「労働すること」という意味の動詞的名詞に留まる(労働行為そのものに意味がある)が、仕事は生産物や作品を表す。
●このような労働と仕事を混同することの危険性は、人間の行なうことはすべて種の生命維持のための労働であるとすること(個人の生命の放棄、人間的諸価値の無化)に行き着くことにある。
平成23年
11月26日

第三章 労働

第十一節 「わが肉体の労働とわが手の仕事」・2

現代の社会ではなぜ仕事が無くなったのか?現代人は、なぜ、収入が無くなるかもしれない将来に怯えているのか?の秘密を明らかにする!!
今、人は、生存のための労働に就いていることだけを安心とし、満足している!!その結果、余暇と遊びで自らを「労働する動物」に貶めている!!
「労働」とは自ら何も生み出せないという非知性の言い換えである!!「遊び」と「快楽」を至上の価値としている現代人の悲惨を陽のもとに晒す!!
誰があなたを娯楽の快美感に導くのか?を語るアーレント哲学!!

●古代ギリシア人の労働に対する軽蔑とは、生命を維持するための必要に奉仕するすべての仕事への軽蔑であり、それゆえに奴隷は必要であり奴隷制は正当化された。奴隷になることは公的性をもつ人間ではなく、家畜に似たものへの変貌、死よりも悪い運命への転落を意味した。
●古代において「労働」(labor)と「仕事」(work)の概念の区別が無視されたのは、古代人の基準がただ一つ、「その活動が公的領域の公務か否か」にあり、全ての骨折り仕事は、工作も含め労働であると一括りにされたためである。さらに古代末期より哲学とキリスト教が勃興すると、人間の最高の能力は「観照」であるとされ、それ以外の活動力は全て単なる必要の次元にまで貶められた。
●近代は、観照を最高のものとする伝統的順位を全て転倒し、かつて最も軽蔑されていた〈労働する動物〉を元来の〈理性的動物〉に代わり最高の地位を引き上げた。この近代全体の同意は、マルクスの「(神ではなく)労働が人間を作った」という冒とく的観念に端的に代表されるものである、
平成23年
12月10日

第三章 労働

第十一節 「わが肉体の労働とわが手の仕事」・3

現代の社会の格差は労働力のもつ剰余生産力が生み出している!!
一人の労働力が何十万人もの生存を可能にすれば、必然的に過剰労働者が多発する!!
日本人は「労働」を回避して、行動停止の中で楽しく暮らす!!
マルクスのいう「労働の止揚」とは何か?「労働の社会化」とは何か?
個別性をなくし、知的独創性をなくしている現代日本人に未来をどうつくり出すか?
プラグマティズムの限界を超えるアーレント哲学をあなたに!!

●近代は、かつてなかったほど高い労働の「生産性」に直面し、これを至上の価値とするようになる。人間の全ての仕事は「生産的労働」か「非生産的労働」に二分されるようになり、非生産的労働は「召使いの仕事」として軽蔑される。また〈労働する動物〉は〈工作人〉に近い特徴を帯びるようになり、マルクスは労働を称賛しながらもあと一歩で労働を廃止できると期待をするようになった。
●近代の経済学者が感じ取りマルクスが定式化した重要な事実がある。それは労働する活動力が場所・時代を選ばずに実際に「生産性」をもつということである。この「生産性」は、労働の生産物の中にではなく人間の「力」の中に存在し、それ自身の生命の手段を再生産し、再生産の後も消耗されず、さらに「剰余」を作り出すことが特徴である。しかし生命以外のものを生産することはない。
●かくして人間は「労働力」(アルバイツクラフト)となった。全ての労働は「生産的」となり、全ての物は生命過程のみに従属する消費の対象となる。人間の仕事は全て生命維持の「労働」となった。
平成23年
12月24日

第三章 労働

第十一節 「わが肉体の労働とわが手の仕事」・4

知識人の本質は、官僚制支配に従属する労働者である!!
 現代社会では、真に自立した知的精神を確立することが困難の理由とは?
 日本人は、已然と未然の文法メカニズムのためにローマよりの官僚の威光に黙って服従している!! 日本人が今直面している労働市場の本質を明らかにする!!
 唯一の生存の糧の賃金でコントロールされる現代人の「労働」の悲惨とは?
 知的精神の必要を教えるアーレント哲学をあなたに!!

●近代の分業は、活動力を非常に細かい部分に分化し、労働者は最少の技能しか必要としなくなった。すると労働市場において売られるのは個人の技能ではなく、生きている人間なら誰でも等しく持つ「労働力」になる。これは世界における熟練労働の廃止を意味する。
●知的作業・頭脳労働者についても、彼らの行なっていることは労働過程である。思考が物化されるためには職人と同じ「わが手の仕事」を行なわなければならないためである。
●近代、知的作業にたいする要求と評価が高まったが、これと同じことがローマ帝国没落前の数世紀でも起こった。古代ローマにおいても近現代においても、「知的人」の地位の上昇は、官僚制の成立と時を同じくする。当時は書記のサーヴィスは奴隷が行なっており、このことは、彼らが世界に新しい物を作り出す「仕事人」ではなく「労働」であることを示唆している。この場合の労働は生命の再生産ではなく官僚的機構の保存であり、サービスという生産物が貪り食われることになる。
平成24年1月14日

第三章 労働

第十二節 「わが肉体の労働とわが手の仕事」・4

実存主義哲学が曝露する資本主義の本質は「主観」がつくる労働の余剰生産のことである!!という真理!!
 「労働」という言葉は動詞である。だから労働する人は自分が何をつくっているのかを知らない!!労働とは何か?仕事とは何か?この二つは同じではない!! 
 労働を仕事と言い変えられて気がつかない「主観」に、果して未来はあるのか? 現代人の生きられ難さの秘密を明かすアーレント哲学をあなたにも!!

●古代人は労働の苦痛・骨折りを軽蔑し、近代は労働の生産性を賛美・称賛した。これらはいずれも「人間に根拠をもつ主観的理論」による考え方である。しかし生産された物(パンとテーブル)の世界的性格(世界における余命や機能、場所)を考えれば、人間の生命を創る「労働」と世界を創る「仕事」の区別は明白となる。これは「世界に根拠をもつ客観的言語」による考え方である。
●世界がリアリティと信頼性をもつのは、永続性と耐久性をもつためである。仕事の産物がこの世界を形作る。一方、労働とは動詞(的名詞)であり、産物や完成品の名詞を意味しない。このことは、もし仕事がなければ、私たちは物が何であるかさえ分からないこともありうることを意味する。
●活動と言論と思考の産物は、触知できない人間関係の網の目(無数の人間の意思と意図)である。これらが世界の「物」となるためには、複数の他者に見聞き・記憶され、本や絵、文書や記念碑に変形されるという高い代償を払わねばならない。このことも世界の物的性格を意味している。

「第14期」(平成24年・2012年)ゼミ、開講中!
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