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ポルソナーレ式イメージ切り替え法 NEWSLETTER 第238号
11期22回め平成21年12月26日
脳の働き方と言語の学習回路/浅見鉄男「井穴刺絡・免疫療法」

脳の働き方のメカニズム・おとなと子どもの脳の発達のさせ方
『日本語の年輪』(大野晋)
 『負けない技術』(桜井章一)

エクササイズ:
役に立つ日本語の文法の学習モデル

はじめに

 ゼミ・イメージ切り替え法、中級クラス、スーパーバイザーカウンセラー・認定コース、Aクラス、48のゼミをお届けします。
 すでによくご存知のとおり、日本の経済社会は「デフレ不況」の状況をたどっています。
 日本のデフレ不況は、インフレ不況と違って、物を増やすとか収入を増やすといったことで改善されるものではありません。社会生活を含めて、「生き方」そのものが問われているという構造から生み出されたものです。
 日本人の一人一人は、「バブル性の観念」の解体が求められています。今回は、このことからご一緒に考えます。

ポルソナーレ代表田原克拓

本号の目次

  1. 「認識のバイアス」のつくられ方
  2. メタファーとメトニミー
  3. 日本語はメトニミー系のことば
  4. メトニミーがつくる認識のバイアス
  5. 日本の女性の原像
  6. 紫式部の天才性とはこういうものです
  7. 『源氏物語』の真実
  8. 日本の女性への「尊大化」はこうして始まった
  9. エクササイズ・役に立つ日本語の学習モデル
  10. 日本人の「観念」のしくみと変え方
脳の働き方のメカニズム・おとなと子どもの脳の発達のさせ方
『日本語の年輪』 (大野晋・新潮文庫よりリライト・再構成)
『負けない技術』 (桜井章一・講談社+α文庫よりリライト・再構成)
「認識のバイアス」のつくられ方

 前回の本ゼミでは、「日本人の脳の働き方」の特性のひとつとして、「認識のバイアス」というものがあります、ということをお話しました。

 今回も、この「認識のバイアス」ということからご一緒に考えてみましょう。

 国語学者・大野晋は、『日本語の年輪』(新潮文庫)で、今の日本人が使っている日本語は、もともとはどういう意味だったのか?について書いています。

 具体的には、次のような日本語です。

◎「やける」(妬く・焼く)

@ ものごとの始末がうまくつかない時に「手をやいた」という。
この意味のことを英語では「指をやいた」と表現する。「胸がやける」を英語では「心臓がやける」と表現する。
「やく」「やける」という言葉は、「いらいらする」「妬ましく思う」「焦る」など感情が高まる、昂じるときに使う言葉である。英語でもフランス語でも「やく」という言葉は「思いを焦がす」という意味に使われる。
それは「物を焼く火の広がっていく様子」が、人間の嫉妬、焦り、妬み、疑いなどの時に共通する「じりじりと迫ってくる感情」をメタファーとして思い浮べさせるからだと思う。

A 出版社の人の話。
「人間、万事、色と欲といいますが、この世は全て嫉妬心というべきです。学者先生の態度を長年見ているとそう思います。あいつが助教授になった、あんな奴が学位を取ったと折ごとにこぼしています。
誰かが本を書くと急いで印税を計算する、新聞雑誌の編集者には賎(いや)しい愛想を言い、同じ研究に従う人の悪口は必ず言いますね。」
なにも学者だけではない。昔から競争心ばかり強い人間、ものごとを正しく認識する力の無い人間、諦めてリスクをとることができない人間の集まるこの世で、人は、さまざまの不愉快とともに暮らしてきた。

B 「やける」という言葉を心理の表現に使ったのは非常に古い。『万葉集』にその例がある。

わが情(こころ)焼くもわれなり
はしきやし君に恋ふるも
わが情(こころ)から

「自分の胸を焼くのも自分である。あなたへの恋に苦しんでいるのも私の心によることなのだ」という意味だ。
自分の思いに相手が応じてくれない時に、自らを嘲(あざけ)った歌だ。

冬ごもり春の大野を焼く人は
焼き足らねかもわが心やく

恋人が野を焼く仕事をしている。恋しいあなたに逢えずに胸を焦がしている。あなたは野原だけでは焼き足りないのか。私の心まで焼きます、と甘えて訴えている。

C 「やく」という言葉は、平安朝の「宮廷」の男女の歌のやりとりにはほとんど使われていない。平安朝の「宮廷」で使われたのは「こがれる」(焦がれる)である。「こがる」とは「こげる」(焦げる)と同じ源から起こった言葉だ。表に立たず、人にも知らせず、胸にいぶっている恋心を表現した。

D 「胸の思いがやける」という感情じたいは平安時代もあった。そういう感覚には別に変わりはなかった。
それを「やく」と言えば、炎を立てて燃え盛る意味を前面に出すことになる。
「平安宮廷」の男女はこういう表現を避けた。
優雅を重んじた歌のやりとりは、破滅の予感を避けた。破滅を遠ざけて「こがれる」というひそやかな言葉が使われた。

E だが、「やく」という言葉は、平安時代の後の時代には復活する。女性の破滅が現実のものとなったからだ。
恋人を遠くからあれこれと思うという距離のある意味の「やく」から、実際に気を遣い、心を配る方向に進んでいく。「世話をやく」、「世話をやかせる」という動詞に変わった。
動詞に変わった「やく」は、他人の間のことを羨(うらや)み、妬み、嫉妬することにも使うようになる。ここから「やけになる」(自棄・やけとも読む。思うようにものごとが運ばなくて前後の見境もなく発作的に乱暴になること)というように破滅そのものをあらわすようになった。

メタファーとメトニミー

■大野晋がここで説明していることは、どういう不都合が生じるのでしょうか。

 「やける」とは、「焼ける」が語源ということに注目しましょう。『万葉集』に「野原を焼く」ことと「恋人を思って胸が焼ける」ということが同列に表現されていました。

 これは、瀬戸賢一が『メタファー思考』(講談社現代新書)でのべている「メタファー」(metaphor・隠喩)ではなく、「メトニミー」(metonymy・換喩)というものです。「メトニミー」によって言葉がつくられた例は次のようなものです。

◎メトニミーの例
「きつねうどん」
「赤ずきん」
「たこ焼」
(その他、ピカピカやゴロゴロなどの「オノマトペア」(擬音語や擬態語))

◎メタファーの例
「時間を大切にする」(お金を大切にしなさいのメタファー)
「経済摩擦」
「貿易不均衡」
「市場は見えざる手でつくられる」(アダム・スミスの『国富論』)
「安定」
「秩序正しい」
など。
「メタファーは意味の形成(生成)の基盤である」
「メタファーは、『見立て』のことだ」
「メタファーは『ものの見方』の一つで、『…を見る』に対して『…と、見る』という意味形成のことだ」
「Aを、Bと見る、という時に、Bにメタファーが生まれる。この時、Aの特質、Aの核心となる本質がとり出されてAに見立てたBが新たに表現される」(例…「メロンパン」「目玉焼き」「人生の道」など)

 瀬戸賢一の説明の要点をまとめるとこうなります。

  • メタファーは、具体的なものを比較の基準にして、そこで得られた性質や特質を抽象化して、新たに「抽象的な言葉」をつくり出す思考の方法である。おもに抽象の名詞や抽象の形容詞の言葉がつくられる。
  • メトニミーは、Aのものを、Bというものに重ねた言葉のことだ。空間的な置き換えのことだ。この置き換えは、感じる感覚を基準にしてボールが転がるようにどんどん対象を拡大して類似表現をつくり出す。
日本語はメトニミー系のことば

■日本語は、「メトニミー」という置き換え(換喩)でつくられているということの例が「やける」という言葉です。具体的な例を少し紹介します。

◎「だらしない」…もともとは「しだらない」(形容詞)だった。「しだら」の語の順序が入れ替えられた。
「しだら」とは「自堕落」(じだらく)が詰って言いあらわされたものだ。また、唄、舞に合わせて打つ手拍子を「しだら」ともいった。この手拍子がきちんとしていないときに「しだらない」とも言った。

◎「新しい」…もともとは「あらたしい」と言った。「新」は「あらた」という。改めて始める時に「新た」という。
この「あらたしい」の語の順が入れ替えられて「あたらしい」と読むようになった。江戸時代に入れ替えられた。

◎「赤の他人」…「赤」という言葉は「明らか」が語源だ。「はっきり」「すっかり」などの強調の言葉になった。「赤っ恥」や「赤子」などがある。君主に対し、人民をその子どもにたとえる表現だ。「赤面」「赤心」などと用いられている。

◎「グレる」…「不良になること」の意味で使われている。もともとは平安時代の遊びの「貝合わせ」が語源だ。蛤(はまぐり)を二つの貝殻(かいがら)に分けて、片方を「地貝」、もう片方を「出貝」と呼んだ。これらの貝殻を合わせる。
二枚の貝殻はなかなか合わない。ちぐはぐでしっくりこないことを「はまぐり」をひっくり返して「ぐりはま」と呼んだ。これが「ぐれはま」と変化した。ここで「ぐれ」だけが動詞になった。
そして「ものごとをおこなうときにちぐはぐなことをする」、「規格に合わないこと」を「グレる」というようになった。さらに社会の常識や規律に合わない行動をとる「不良」になることを「グレる」と言うようになった。

■「メトニミー」による言葉のつくられ方を見ていただきました。メトニミーによる言葉の特徴をまとめます。

  • 個々の人間のそれぞれの具体的な場における情趣、個別の感情、個々の動き、事態をあらわす。
  • ものごとを普遍的に認識するということはない。
    もしくは、現実のものごとや自分の直面している現実、自分が関わっている現実の対象を抽象的に統一して認識するということはない。
  • つねに自分の今の感情や感覚が認識の基準になる。すると、「体系的に思考した結果の言葉」にも「分からなさの不安」を感じて、自分にだけ分かる言葉による説を本当のことだと得心する。その結果、その得心した言葉のもつ「意味」を表象させて主体をなくすこともある。

◎例・「憧れる」…もともとは「アクガル」という動詞だった。「離れること」「自分の居る場所からフラフラと離れてさまよい歩くこと」がもとの意味だ。心が身体から抜け出して自分が自分でなくなる、というイメージが表象する。

御仲もあくがれて程経(へ)にけれど(源氏真木柱)
(夫婦の仲も離れて時が経ってしまったが)

メトニミーがつくる認識のバイアス

■ここに見る日本語の言葉は「メトニミー」による言葉のつくられ方の事例です。

 「抽象概念」ではなくて、どこまでも個別の人間の行動や感情の水準でものごとが認識されていることが分かります。これは、固有の思考のパターンというものです。

 「経済」「社会」「未来・現在・過去」「悪・善」「個人」そして「男性・女性」といった抽象の名詞や形容詞を疎外する思考パターンです。「分からなさの不安」の対象にして放置するということです。疎外とは、ちょうど自分の頭の上に帽子(ぼうし)をかぶせて、その帽子(ぼうし)に最上級の価値があり、帽子をかぶっている人間は帽子(ぼうし)よりも価値が劣る、という根源的な「認識の歪み」のことです。

 日本人は、「自然」対「人間」の関係の中で「自然」を優位に置くという疎外の仕方をしています。欧米人は、「自然」対「人間」の関係の中で「人間」を優位に置くという疎外の仕方をしています。「人種差別」はそのモデル像です。これにより日本人は人間を破壊し、欧米人は自然を破壊するという「自己表出性」(『言語にとって美とはなにか』)を表象(ひょうしょう)させてきました。

 「人間を破壊する」ということの具体例を、国語学者・大野晋は次のように述べます。(『日本語の年輪』新潮文庫より。)

日本の女性の原像

@ 奈良時代の女性は、男性にたいしても、自分の人生にたいしても「生きるための自主性」を持って自立していた。
なぜかというと、奈良時代の結婚の習慣は「妻問婚」だったからだ。
男が女の家に通う。男は女の家に泊って世話になり、次の朝自分の家に帰る。ここから仕事に行く。女性は、自分の評価と一致しない男性が訪ねてくると、「お断りします」と拒否していた。財産の相続も、自分の分け前を持っていた。娘は、結婚について母親の管理を受けていた。しかし、女性は、男性に見下されて尊大にふるまわれ、やがて死の淵へ追いやられるという服従以外の道は何も無い、ということはなかった。

君に恋ひいたも術(すべ)なみ
奈良山の小松が下に立ち嘆くかも
(万葉集・笠郎女(かさのいらつめ))

君が行く道の長手を繰りたたね
焼き亡(ほろ)ぼさむ天(あま)の火もがも
(万葉集・茅上娘子(ちがみのおとめ))

春過ぎて夏来(きた)るらし
白妙(しろたへ)の衣(ころも)乾したり天の香具山
(万葉集・持統女帝)

これらの歌は単に古代的な素朴さの精神とか、古代的な勇気という考え方では説明できないものだ。現実的な実体をともなって、内容に裏付けられている。社会生活を営む場合の女性の位置という内容だ。
そのような女性が、男性に対してどういう感覚で相対しているのか?が歌われている。
歌は嘆きの表現であり、別れを悲しみ、逢えない恋人を遠く遙に想っている。
女性は、自立した精神を拠り所にして命をかけて男性に寄り合おうとしている。
そんな心を言葉にして外に表現したいという自己像が歌の発想を決め、自分自身をしっかりと大地に立たせて、支える。

紫式部の天才性とはこういうものです

A しかし。奈良時代の末頃から平安時代の初めにかけて「妻問婚」の形式に変化が起こる。まず、男は女と一緒に住むようになる。
だが、それでも結婚の主導性は女性にあった。一緒に住むという形式から「婿(むこ)を取る」という形式に変わった。この日本の女性の社会的な位置の微妙な変化を鋭くとらえたのが「紫式部」である。
宮廷では、「藤原氏」が官僚体制の中心部を自分らの一族で独占することに成功しつつあった。「摂政関白」(せっしょうかんぱく。元は、「かんばく」と発音していた。天皇を補佐して政務をつかさどる重職。「摂政・せっしょう」は、幼帝、女帝に代わって全ての政務をとった職)を独占するために「藤原氏」以外の人々を追い出していく。
これが女性の結婚の仕方にも変化を与えた。「藤原氏」の「摂関政治」の完成と平行して、時の「権力者」らは自分の身の回りに何人もの女性を据え置くようになっていく。「藤原氏」の体制が完成するとそこに「経済的な富」が集中する。政治的には「権力」が独占される。
儒教や仏教が「女性」を見下し、尊大に扱うという「身分制度」を下支えした。官僚体制から追われた他の氏族の人々の何人かは抵抗した。そして破滅に追いやられた。追随を覚悟した人々は、「権力」「経済力」の余りにありつこうとした。女性たちは、男性に対して従属的な位置に甘んじるようになる。

B 『万葉集』の女性の歌は、しっかり、堂々としている。生き生きとした力に溢れている。奈良時代の女性は、自分の生きていく道を見つけることができていた。男性に、何もかも自由を束縛されるということはなかった。精神そのものが自立していた。
『古今集』以降の平安時代の歌集は、底知れないわびしさ、どうすることもできない「つぶやき」に似た印象が歌われている。平安時代の女性の歌は、なよやかで、あえかで、かすかな息づかいが満ちている。これは宮廷の女性が洗練されていたとだけ理解するのは、女性の社会的位置が見えないからだ。
女性は、宮廷を中心とする官僚社会に生きた。巨大な権力が極度に肥大化すると女性たちも従うことができず、従属せざるをえなくなる。すると、男に対する心のゆとり、自由な気持ちによる遊び、思いのままの自由な発想が狭められる。歌はわびしく、かそけく、消え去りそうに追い込まれていった。

C だが、平安時代の女性は、まだ精神の自主性を失ってはいなかった。男たちは、「漢字・漢文」に取りつかれていた。本物の中国の「漢文」と比べると見る影もない「拙(つたな)い文章」をよろよろと操っていた。一方で女性らは、随筆を書き、歌を作り、手紙を書き、物語を書いた。
多くの女性が多くの文学上の作品を作り、表現の世界では自立して生きていた。
自分の言葉で自分の思想や感覚をシャープに表現した。
『枕草子』『源氏物語』などはその代表的な作品だ。

D 平安宮廷の女性たちを「女房」(にょうぼう)という。身分の高い女官を「女御」(にょうご)という。中宮(ちゅうぐう。皇后・三后(さんこう)など)は、皇后と同じ資格の后(きさき)に位していた。「女御」は天皇の寝所に侍(はべり。低い位置でかしこまって仕えること)っていた。「女房」は、女御に次ぐ地位の女性たちだ。「女房」たちは、男性と社会的な関係の変動期に住んでいた。
その昔に持っていた自由を失いつつあった。次第に低い位置へと追い込まれる道を歩いていた。男性よりも劣った位置へと沈んでいく気配が漂っている。
「紫式部」は『源氏物語』を書く中で、このことに気づく。

『源氏物語』の真実

E 紫式部は、『源氏物語』を、初めは単に「男性讃美」のモチーフで構想した。女性の憧れの対象となる「光源氏」を描く。
「光源氏」の誕生、結婚、栄進、栄華を描いてハッピーエンドで終わる。それが第一の『源氏物語』である。「紫上(むらさきのうえ)系の物語」と呼ばれる。

F 『源氏物語』の第二は、「玉鬘(たまかずら)系の物語」と呼ばれている。中年の域に至った「光源氏」のエピソードが書かれている。人生の陰りが生じて、陽の当る道ばかりではないというエピソードだ。
自分が望んで迎え入れた「内親王・女三宮」に子どもが生まれる。その子どもは、別の若い男性「柏木中納言」の子どもだ。
「光源氏」は、自分の子どもだと喜んでみせる。若い頃の自分の行状の裏返しが迫ってきた。この中で、二人の女が心労をつのらせて死んでいく。女は「尊大」の対象に陥る。

G 次の『源氏物語』は「大君(おおきみ)と浮舟の物語」である。「宇治の大君」は、男の近くまで寄り添いながら、男を受け容れずに死んでいく。「浮舟」は、二人の男に同時に愛された。そして二人の男に「浮舟」は惹かれて、どちらを選ぶこともできない。「浮舟」は生きられない。そこで川に身を投げて死んで事態の解決を図ろうとする。だが助けられた。「浮舟」は記憶喪失を装い、髪を切って尼になった。生きたまま死ぬということだ。

H 『源氏物語』の最後の巻は「夢浮舟」の終わりの場面だ。男「薫」の弟「小君」が「浮舟」を探しに来る。兄の手紙を渡す。
「浮舟」は、手紙を読んで「人違いでしょう」と言う。
「浮舟」は、本当は「薫」に会いたいと切々と思っている。一方「薫」はかつて自分が行なったように「誰か別の男によって隠されているのだ」と疑心暗鬼にとらわれる。
物語は、宇治川のざわざわとやむことのない水の流れと物悲しく鳴る風の音を伴奏として、男と女が心を通い合わせない姿を描き、女が悲しみの中で息絶えるように完結する。

I 『源氏物語』「螢の巻」の中で、紫式部は、光源氏にこう言わせる。
「女こそものうるさがらず人にあざむかれむとうまれたるものなれ」
「あざむく」とは、「花をあざむくよそおい」「昼もあざむく明るさ」と使われる。
「しのぐ」という意味だ。「人に、弱い者、劣ったものとあなどられ、みくびられる」ということだ。
「女というものは、事をうるさがらずに、男から劣った者とみくびられ、そしてあれこれと誘われ、そそのかされて、男の言いなりになるものだ。」
紫式部は、男と女の間柄をこのように観察していた。紫式部は、男と女が、窮極ではこのように離反する、それは避けられない宿命と見ていた。

日本の女性への「尊大化」はこうして始まった

J 「平安貴族」はやがて力を失う。
体制が崩壊して、やがて「鎌倉幕府」が成立する。
新しい武士階級が政治上の権力を握る。「南北朝時代」を経て「室町時代」になると結婚の形式は「嫁取り婚」に変わる。女性は、男性の家に取られる。男の家の慣習に従い、男の家から一歩も出られなくなる。仏教は、「女は三界に家なし」と宿命づけた。
以降、日本の歴史の上に女性は姿を見せなくなる。
女流作家は日本の文学史の中から消え去る。
女性が自由にものを考え、自由にものを感じ、空想し、組み立てていくゆとりのない世界で、女性は、文学上の作家としても登場することができなくなった。

K 奈良時代。中臣宅守(なかとみのやかもり)は、「茅上娘子」(ちがみのおとめ)に身分の壁を超えた禁断の恋をした。

うるはしとわが思(も)ふ妹(いも)を思ひつつ
行けばかもとな行きあしかるらむ(万葉集)

「うるはし」とは、茅上娘子(ちがみのおとめ)のもつ彩りに満ちた豊かな才能と天分を見て表現した言葉だ。
整っている、端正だ、きちんとしているという姿にたいする讃嘆をあらわす。「仁徳天皇」も、「髪長姫」にたいして「うるはし」と言った。
神のように立派で、美しく、その精神にはとても近づくことができないと、その「美」を畏敬した。
このような男性の女性にたいする「認識」がバイアスに歪み、そして歴史の底に沈んだ。

エクササイズ・役に立つ日本語の学習モデル

■このように日本の女性を認識のバイアスに歪めているのは、日本語の文法と、ここから表現される「メトニミー系の言葉」です。

 人間の観念は、吉本隆明が『言語にとって美とはなにか』でいう「自己表出性」と「対象の像を表象させて指示する」というイメージとの二つで「二重」になっています。日本語の文法をつくる「メトニミー」は、「観念」のベースとなり、「対象の像を指示する」というときの「背景」となっています。今の日本の女性が「奈良時代の女性」の「自由の域」を回復させるにはどうすればいいのでしょうか。その一つの対策を「桜井章一」は、次のように書いています。(『負けない技術』講談社+α新書より。)

@ 人間、年をとってくると物忘れが激しくなる。なにをどこに置いたのか、その場になにをしに来たのか、一瞬わからなくなる。そういうことはだれにも経験のあることだろう。
もちろんこの私も、昔に比べればずいぶんと物忘れをするようになった。しかし、ちょっとした試練を日々の生活の中に入れていくだけで、自分を磨くことができる。試練というと言葉が重いが、ゲーム感覚で自分を鍛えていくことはできるのだ。

A 私が家にいるときにやっている「自分磨きゲーム」はこうだ。
自分がいる部屋からほかの部屋になにかをするために移動する際、10個ほどの「やること」を瞬間的に決める。

B たとえば、寝室からリビングに移動しようとしたことにする。
そのとき、私はひとつの用件だけではけっして移動しない。
1度に10個ぐらいのやることを決めて、目的の場所へ行く。タバコを置いて、タオルを持って、お茶を入れて、お風呂に湯を張って、という具合に10個。

C それを昔は瞬間的にやっていていつも10個間違いなくできていた。やり残しなどけっしてなかった。しかし最近、ひとつかふたつ、「あれっ?」と忘れてしまうことがある。いわゆる「不注意」というやつだ。
そんなことは以前はなかった。
ということは、私にも衰(おとろ)えが出始めているということなのだろう。

D 忘れてしまったことがひとつ、ふたつあったとき、私はゲーム感覚で「ああ、負けちまったなあ」「おれも弱くなったなあ」と感じている。

E でも、そうやって「勝負の感覚」を自分の中に持ち続けながら、自分を磨いていくことは大切なことだ。10個いっぺんにできる人は、ひとつ、ふたつしかやってこなかった人間より必ず強くなれる。

F 私の妻は「あれ?台所でなにしようとしてたんだっけ?」というようなことをよく言っている。妻はひとつの用件を忘れてしまっているのだが、私は先にのべたように、ひとつの用件ではけっして動かない。「1個じゃつまらん。10個やってやろう」という気持ちで日々自分を鍛えている。
10個のやることを決めるのは瞬間的なもので、時間をかけて決めていては無意味だ。
「思いついたら動いていた」という身体感覚を、生活の中で養っていく。生活の中でこそ、そういった瞬間的な動きは育(はぐく)まれる。

G 世の中には「持っていいもの」と「持つ必要がないもの」がある。瞬間的にやることを決め、それを実践する癖をつけていれば、「持っていいもの」と「持つ必要がないもの」の見分けも瞬時にできるようになる。その見分けがつかない人間はなにかを見落したりするようになる。

H 持つ必要がないものは、どんどん済ませていく。そんな感覚を培(つちか)っていかないと、全てにおいて「間に合わない」人間になってしまう。
逆にいえば、「間に合う」人間は瞬間時の判断力や「負けない」感覚を持ち、さらには人への気遣いといったこともできる。
日々の生活の中に、そんな「自分磨きゲーム」を取り入れるだけで、いろいろなことに通用する感覚、精神を養うことができるのだ。

日本人の「観念」のしくみと変え方

 絵本作家のディック・ブルーナーは、「0歳8ヵ月」の乳児は、言葉を話す言語以前の行動とは、次のような「行動文脈」をもつ、と観察しています。

◎[A]ガ [B]ヲ [C]ニ [D]スル。

?ボール遊びの場面
?[B]…ボール
?[A]と[C]…自分と相手が交互に交替する
?[D]…動作
?[C]…相手
?これが行動の構造(プロット)である。
 のちに「言葉の構文(文法)」の規則を用意する。

 これは人間の「観念」の土台となるイメージの表象です。この「土台のイメージ」の上に、現実の人間関係や、もしくは妄想のイメージが乗せられて加えられます。

 「桜井章一」ののべる日常の生活の中の「瞬間的に10個の行動の対象を表象させる」「その10個の表象のイメージを直接行動の対象として指示する」ということの実践で、「観念の表象の構造」が変わるのです。

 日本人の「自己表出性」(『言語にとって美とはなにか』)には、「視床下部」(男性は背内側核、女性は視索前野)の長期記憶が表象させます。また『愛着』のシステムの「不安定な長期記憶」を「扁桃核」や「中隔核」から表象させています。これが「心的現象」といわれているものです。

 ここを変えない限り、「何もしないことが一番いいことだ」という「アジア型の共同幻想」を表象させるのです。この「アジア型の共同幻想」を表象させるのが「日本語の文法」とここからつくり出される「日本語」(メトニミー系の言葉)です。

 (お知らせ…今回はスペースの都合で「年金問題」の各論はお休みいたしました。)

ゼミ・イメージ切り替え法 NEWSLETTER 第238号 一部掲載

関連
日本語の文法の解体学・IV 『言語にとって美とはなにか』3 「負けない行動」の表現力(桜井章一)


連載
前回:「年金激震!」・2 「言語にとって美とはなにか」2
次回:

参考:脳の働き方の学習のご案内

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