谷川うさ子の「今日の一言」掲示板


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[5178-2] 谷川うさ子 2019/05/20(月)08:48 修正時間切れ
なぜならば、日本語(ヤマトコトバ)は「動詞文」であるからです。名詞文、すなわち「交感神経が憶える言葉」ではないからです。「動詞文」は「副交感神経がつくりだすコトバ」です。

●なんども説明してきているように、現実の社会の言葉はどれもこれも名詞でなりたつ言葉です。物事の事実も同じです。

●ここから分かるように、多くの日本人は、生理の目・・・視覚の感覚の目は現実のものごとを見ていても、視覚の認知を見る目は見えていないのです。

●これは学校の教科書の言葉も、仕事のなかのどんな言葉も、視覚の認知も、認識の目も見えてはいない、盲目である、という証拠、証明になるのです。

◎だから、多くの日本人は、会話のときに相手の顔を見ない、目などはもちろん見ないのです。

電車のなかでも、スマホの画面だけしか見ない、スマホの画面を見ながら相手としゃべる、ということを普通にしているのです。これは基本的には、相手を見ても、確かに生理的には相手がいることは知覚している、しかし、相手を理解するとか、相手の話を、相手の表情とか顔の感情から分かる、など、そういう相手は存在しない、不在であると認知しています。

◎これが「視線恐怖というもの」の「恐怖」の実在性の実体です。

相手のことは丸暗記などできない、試験とかテストではないから、また仕事のことがらでもないし・・・しかし、嫌いでもないから「行動だけしかかかわらない」というわけにはいかない・・言葉は必要である、という意識はある、・・・だから無理に無理をかさねてでも今のこの関係は会話の関係としてつづけている、その会話は、目がうつろとか、ぼーっと見ているとか、あるいははっはっはっと不毛な笑声をけたたましく立てるとか、あっそうそうと相手の言葉に反射して自分のことを幻聴まがいに果てしなくいつまでもぺらぺらと喋りだす、という関わり方であるでしょう。

●これは「視線恐怖というもの」の「恐怖」の病理症状です。動詞文は「時間性の言語領域」で作り出すとはなんども説明しているとおりです。

時間性の言語領域とは、自然でも人間の場合でも、そこにあるものは、たちまち消えてしまう、と本質にしています。

「視線恐怖」の「恐怖」とは、時間性の本質にしたがって人でも、仕事の言葉でも、もちろん勉強の言葉でも、これらを見ている自分は「消滅に向かっている」「死に至る道を転がり落ちている」ということを「トカゲの脳」のドーパミンの快感とともに歓喜して受け入れているというのが「同一性」の実体です。

◎この「視線恐怖というもの」の「恐怖」の意味する「死滅にいたる病理」の診断は、「こわい」の言い換えの「人の目が気になる」とか「赤面する」「自分は悪く言われている」などと発言すれば、その人は、「死に向かう第4行程」の「あがき、もがき」のレベルを越えています。

あちらこちらの身体に神経症、あるいは、疾患がでている人は、「死の受け入れの段階」です。この人は、痴呆症の症状を全面に出していて、疾患が進行しています。

「パソコン」「スマホ」の画面を見ている人でいうと、いつでも「見ずにはいられない」という人です。「リア充」とかいって、現実がまるで見えていないので、明日にでも「ビルの屋上」のフェンスを乗り越えようと、空を飛ぶ鳥になった自分をイメージして「うわっ、楽しそー」と胸をときめかせているでしょう。



[2024/03/29 04:54] 谷川うさ子の「今日の一言」掲示板 管理人 谷川うさ子